Fumiaki Konno in Rikuzentakata

2011年4月21日木曜日

紺野さんの震災当日の話し

紺野さんの被災当日の体験を、紺野さん自身が避難中に撮影した写真をまじえつつ、直接うかがった話をもとに再現してみます。

3月11日午後2時47分頃、紺野さんは川のそばのおじさんの家にいました。地震の衝撃はかなり大きく、しかも長くつづきました。本来なら、すぐに流れるはずの防災無線も、地震とほぼ同時に停電したために機能しませんでした。

これほど大きな揺れなら津波が来る。そう思った紺野さんは、おじさんを車椅子に乗せて1キロほど内陸の避難所へと運びました。そこは神社(諏訪神社)のある小さな山の北側で、かつて公民館として使われていた建物でした。紺野さんの自宅は、この山の東側の参道のわきにあり、以前から津波のときにはここへ逃げることにしていました。

そのあと、紺野さんは町へ戻り、別のおじさんの様子を見に行きます。はたして、おじさんは高台の施設にいるとわかりました。そこでこんどは先ほどの神社のある山の麓の自宅へ。6メートルの津波が来ると聞いたので、とりあえず財布や水のボトルなど最低限のものだけを持ちました。パソコンにちらりと目をやったものの、6メートルなら、さすがにここまではこないだろうと思い、持ち出すのはやめたといいます。

紺野さんの自宅は広田湾の河口から1・5キロほど遡った場所に位置し、川の堤防からも200メートル近く離れていました。津波が押し寄せても、まさかここまでは来ないと思われていた場所です。そのため近所でもあえて避難せずに家に留まっていて、津波に呑まれた人も少なくなかったといいます。

自分の車を山裾へ移動したあと、紺野さんは山の南側のなだらかな坂道を登ります。津波が来るにはまだ多少時間があると思い、いったん下って様子を見ていたところ、海が堤防を越えて溢れてきているのが目に入りました。

その前を毛布を背負ったおばさんがのろのろとこちらに歩いてくるのが見えました。すぐにそのおばさんにかけよって毛布をあずかると、おばさんを急かして走らせ、神社のある山の参道の階段を登ります。津波はすぐ背後に迫っていて、すでに山の上に避難していた人たちから「来たぞ、来たぞ」と声が上がっていました。

階段を登り始めてまもなく水が山裾に押し寄せ、ここなら大丈夫と思って駐車した自分の車を呑み込みました。水はさらに階段を飲み込んで上がってきます。神社のある頂上から眼下を見ると、瓦屋根が連なっていた住宅街はすっかり水没し、逆巻く海のようになっていました。木造の家々が引く波にのってつぎつぎと流されていきます。そんな家の屋根に乗っかったまま沖へと流されていく人もいました。その人に、上から「がんばれよー」とみなで声をかけました。


夕方になると徐々に水が引いていきましたが。そこにあったはずの建物が見あたりません。自宅の前後にあった2つの蔵も長屋もきれいになくなっていました。参道の階段の下の方は水に沈み、手すりがぐにゃりと曲がっていました。右手の中学校の方から、連続して爆発音が起こり、いつのまにか火の手が上がっていました。あとでわかったことですが、学校に駐車していた車のガソリンに引火して、車が次々と炎上し始めていたのでした。


(c) Fumiaki Konno

夜明かしに備えて、夕方、避難していた数人の若者といっしょに水を汲みに山の裏手の泉まで下りました。斜面の畑がどろどろになっていました。その下の家で男の人が「助けに行こう」といっているのが聞こえました。なにごとかと近づくと、その家の中に足の不自由なおばあさんとお嫁さんがいるといいます。紺野さんは屋根の上から中に入り、他の人たちといっしょに、中からうつぶせになった二人の女性を引っ張り出しました。おばあさんをかばって、お嫁さんもいっしょに死んだのだろうという話でした。

やがて夜になりましたが、中学校のほうから聞こえる爆発音はなおもつづいていました。炎はいつのまにか体育館に燃えうつり、その明かりがぬかるみに沈んだ夜の廃墟一面にぎらぎらと反射していました。見上げると、おそろしいほどきれいな星空で、しばらくすると雪がぱらぱらと降ってきました。

(c) Fumiaki Konno

暖をとるために、間伐材を集めたり、古い賽銭箱をたたきわって、それらを一晩中燃やしました。神社に避難していたのは80名ほど。お年寄りもいれば、赤ん坊をつれたお母さんもいました。みんなで火を囲んで、まんじりともしない一夜を過ごした。下の方では炎上する体育館の炎が、どろどろになった町を夜中じゅう黄色く染め上げていました。

(c) Fumiaki Konno

やがて夜が明けました。一晩中燃え続けた体育館の火もおさまり、眼下には、これまで見たこともなかった風景が広がっていました。朝8時頃、避難していた人たちみんなでいっせいに山の裏手を通って山伝いに移動して、それぞれに避難所へとたどりついたのでした。

(c) Fumiaki Konno
 

田中

0 件のコメント: